近況 & プロフィ−ル

 

1958年秋田市に生まれ,その後埼玉県の片田舎で育つ.幼少の頃より自然に親しみ,虫採り,魚釣り,ザリガニ採り,鳥撃ち(今思えば,幸いにも一度も当たったためしがない),ヘビ採り,さらには化石探しや岩石採集,貝殻集め,土器探しなどをして日々を過ごす.高校時代は山登りに熱中し,自然のスケールの大きさや高山の厳しい環境を若輩ながらも実感した.大学,大学院時代になると南方の自然に魅せられ,琉球列島から台湾へ,そしてさらに熱帯アジアへと寝袋をかついで出かけるようになった.その時の原体験が脳裏に焼き付いたためか,長い間熱帯・亜熱帯を中心とした,目を見張るような多様性に富んだ生き物達や,それらの生物達のさまざまな生活様式に魅せられていた.その結果,生物多様性や生物地理学,島嶼生態学等を取り込んだマクロ生態学に興味を抱きつつ,毎日を送った.新種として記載発表した昆虫類が現在400種を越えて、めざせ存命者日本一となっている(日本記録は常木先生の1200種亜種だろう.遠く及ばない).妻は論文の別刷代金や論文掲載費がかさむので,ほとんど趣味化している新種製造業なんかもうやめなさいと言って久しい.ちなみに私の正しい趣味はアリ,カエルおよびフクロウ(含むトトロ)グッズ集め,各種模型集め,昆虫古書集め,その他ガーデニング,野菜作り,アジアの昆虫集めetc.である(どれも中途半端で,自慢できるものは一つもないが...お暇な方,ギャラリーをご一覧下さい).そう言えば,昔は岩壁登攀,洞窟探検,激流下りetc. と体を鍛えていたつもりであり,かつ特技は野宿であったのだが,今は遠い昔の話となってしまった.近年になり体力の低下が著しく,赤貧を極めていたが何かをやろうと言う意気込みだけは失せなかった学生時代に比べ,知らず知らずの内に心身共に贅肉が付いてしまった事を恥じている.かつて「太った豚になるよりは痩せたソクラテスに」の言葉を胸に刻んだはずなのに,あの名言は一体どこへ飛んで行ってしまったのだろうか.最近は,「飛べない豚はただの豚」とか「お前の頭はかざりかい?」とか言う言葉を浴びせかけられて完全に畏縮している.自業自得であるが,皮下脂肪により近年とみに腹部の突出が著しく,家では「カエルのケロちゃん」と失礼にも影で呼ばれている(らしい).ケロッ.

 

 東京大学,東京工芸大学,関東学園大学,専修大学、茨城キリスト教大学,気象大学校等で系統分類学やら生物学,科学史等を教えていた.本当は,生物学の中でもとりわけ系統分類学と群集生態学を専門としたはずなのだが,東京大学での昆虫系統分類学の講義を除くと,大学では分子生物学から地球環境問題まで幅広く講義を行って来た.そのためもあって(と同時に説明するのが面倒なので)「専門は?」と聞かれた場合,多様性生物学と答えることにしていた.こう答えておくと,相手は何となく分かったような気になるらしい.学会では副会長や評議員,編集委員長等を引き受けたことがある.公官庁では,日本学術会議の委員や国土交通省,環境省等での専門委員の兼任歴があり,宮内庁や農林水産省等から依頼された調査の担当もある.防衛省からの調査依頼もあった.このおかげで自衛隊機に乗れたことは私の数少ない自慢話の一つである.これらは、滅私報国,七生報国の実に前向きの立派な姿勢だと思っているのだが,家庭では単なる趣味の延長としか捉えてくれず,私への評価は全くない.むしろ,頻繁に家を空けることから迷惑だとさえ思われているようだ.

 

 現在,相変わらず埼玉の田舎方面で,中国語がめっぽうできる妻(りっぱな元通訳:長男と次男は自立してもう家には寄り付かない),マルチーズのルナ,パグのユウ(遊),イモリのイモちゃん達(沢山いて見ていて飽きない.ただし,元生物学者のくせに個体識別をしていないために,どの個体もみんなまとめてイモちゃんと呼んでいる.とってもお暇な方,ルナとユウの写真がギャラリーにあります),数匹の金魚とタニシ,時々部屋に現れる座敷わらし,及び庭先に出没するクロネコの親子,カエル,トカゲ,ヤモリ,マイマイカブリ,ダンゴムシらとともに暮らしている.一応理学博士.幼少の頃,‘はかせ’は総理大臣や警視総監よりも偉いものと思い込んでいた.どこかでとんでもない思い違いをしていたらしい.‘はかせ’はあまり役に立たなかったような気がする.それでも元外人の妻は,気が向くと私に向かって「落花生,らっかせー」とか呼んで遊んでくれる.やっぱり落武者か!?

 

  

 一匹のアリ,行けど,行けど...  やれやれ.

 

 老兵不死,打死不退...  やっぱりやれやれ.